【2020年】おせち料理で新年を祝おう!

「梅が枝餅」天神様を味方にしてご利益を賜ろう

福岡県の太宰府天満宮の近隣で売られている「梅が枝餅(うめがえもち)」をご存知でしょうか?
小豆餡を薄い餅の皮で包み、梅の刻印の入った焼餅で、毎月25日の「天神様の日」には、ヨモギ入りの緑色の梅が枝餅だったり、また古代米の入った紫色の梅が枝餅が販売されたりもしています。

学問の神様・菅原道真を祀る太宰府天満宮

太宰府天満宮は「菅原道真公」のご墓所の上に社殿が造られ、御霊を祀った神社なのですが、では「菅原道真公」とは、どのような方だったのでしょうか?
菅原家は、「天穂日命」(あめのほひのみこと)に起源をもつ、学問で栄え、朝廷に数々の要職を持つ官人を出した家柄で、道真自身も文武両道の才能輝く人物で、幼いころより神童と呼ばれていました。学者としても最高の地位を与えられ、京都から讃岐国の長官に任命され赴任した際にも、国を建て直す才能を発揮し、住民にも慕われていました。やがて宇多天皇の耳に入り、実績が認められて京都に戻り、更なる活躍をし国に尽くし右大臣に任じられるまでに至りました。
しかし、その活躍を妬まれたのか、左大臣の藤原時平の陰謀により、身に覚えのない罪で太宰府に突然左遷されてしまいました。
家族との別れも許されないまま京の都を離れる時に、自宅の大好きだった梅の木に詠まれた和歌は有名です。

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

春の東風が吹くようになったら、主が居なくなっても忘れずに花を咲かせて
香りを届けてくれよ。というような解釈でしょうか。都を追われる悲しみが伝わってきます。

太宰府に就いてからの生活は、たいそう貧しく厳しかったようですが、ひたすら身の潔白を訴え、また朝廷の安泰も祈りながら生涯を終えたということですが、

道真が、太宰府に左遷されてからしばらくは軟禁状態で、食事もほとんど与えられない中で、それを見かねた老婆が軟禁されている部屋の格子ごしに、届かないので、梅の枝の先に餅を刺して差し入れたという絵巻も残っています。
道真は、その餅に感謝し、また刺さっていた梅の木に、京の都の我が家の庭の梅の木を思い出し涙したことでしょう。
そんな言い伝えを素に、この「梅が枝餅」は太宰府天満宮の近隣で売られるようになったのです。

では、なぜ道真の縁の「梅が枝餅」が天神様を味方にしてご利益を得ようと言うのかですが、
道真が亡くなってから、潔白は証明されたのですが、その後、疫病がはやり、日照りも続き人々の暮らしに良くないことが次々と起こりました。
また醍醐天皇の皇子も相次いで病死し、さらには「清涼殿」という天皇の御殿が落雷に会い多くの死傷者が出たことから、「道真の祟り」だと恐れた朝廷は、道真の贈位を行い、「神」として太宰府天満宮に祀り、鎮まったのでした。
清涼殿の落雷から、天神(雷神)が道真だとして、天神様をお祀りするようになりました。
ですから、太宰府天満宮の神となった「菅原道真」の縁の「梅が枝餅」を食べる事により、道真公の気を取り入れ味方になっていただくということなのではないでしょうか?

天神様と言えば「学問の神様」が一番に浮かびます。
道真公が生前、優れた学者であり歌人でもあったことから発していますが、受験生やまたその家族が合格を願ってお参りするのは、もはや風物詩となっています。もちろん、合格したあとの学業上達にも、なにしろ「学問の神様」ですから、ご利益があります。
また「和歌や連歌の神様」とも言われますし、道真公は空海や小野道風とともに「書の三聖」と称えられることから「書道の神様」とも言われ、教養を高めたい人に愛され信仰されてきました。
学問の他にも、政治家として功績を上げ、朝廷の信頼を受け、誠心誠意の仕事ぶりで尊敬されてきましたので、無実で太宰府に左遷されながらも、亡き後、潔白も証明され「至誠の神」としても信仰されています。
もう一つ、「厄除けの神様」としても有名で、天神様が愛された梅の木の下で、瓢箪酒を飲むと厄から逃れられるという言い伝えもあります。
ここでも、梅の木が出てきますが、天神様はよほど「梅の木」がお好きなようですね。

太宰府天満宮にお越しの際には、道真公の縁の「梅が枝餅」をぜひご賞味いただいて、道真公の思いに触れてみてください。もしかするとあなたの思いに気づいた天神様が味方してくださるかも知れません。

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