菊の花というと、お葬式に死者に手向ける花とか、お墓参りの花としてのイメージが強く、菊の花を花束にして女性に渡すのは失礼と思われるほど、縁起が悪いと思っている方も多いと思いますが、お正月に飾る代表的な花といえば、菊です。日本の国花は桜と菊で、天皇家の家紋も菊です。パスポートにも50円玉にも使われている図柄ですから、縁起が悪いはずがありません。むしろとっても縁起が良いのです。
中国から渡ってきた「菊」
中国では四君子(しくんし)と言われ、蘭、竹、菊、梅の4種を、草木の中の君子として称えたられるほど愛された花で、本来、中国語で君子は徳と学識、礼儀を備えていなければならないとされ、文人はみな君子になることを目指しました。蘭、竹、菊、梅の4種の植物がもつ特長が、まさに君子の特性と似ているとして、文人画の代表的な素材になりました。蘭はほのかな香りと気品、竹は寒い冬にも葉を落とさず青々と、曲がらずまっすぐな性質。梅は早春の雪の中で最初に花を咲かせる強さ、菊が晩秋の寒さの中で鮮やかに咲くということで人々に好まれたということです。
それぞれの気品が高く、高潔な美しさから、中国宋代より東洋画の画題としてよく用いられ、春は蘭、夏は竹、秋は菊、冬は梅と、四季を通じての題材となってきました。
観賞用の菊が日本に入って来たのは、奈良時代といわれ中国大陸より伝えられたとされています。文学上は、『万葉集』には詠まれていないので、花自体が、それ以降に日本に入って来たのだろうと考えられるそうです。『古今和歌集』、『源氏物語』などから登場してきます。
菊の節句
平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、9月9日を「重陽の節句」「菊の節句」として、菊花酒を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」で邪気を払ったとし、長命を祈りました。菊文様も吉祥文様として、好んで装束に用いられたということです。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊の花と菊の模様を好んで、自らの印として愛用したということです。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承していき、こうして慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着していきました。
菊の花ことば
菊の花言葉は「高貴」「高尚」「高潔」「真の愛」「生命力」、他にも種類等により様々ありますが、この花言葉からしても、とても縁起の良いものであることがわかります。
菊に関わることわざ
お月見、七五三、お正月、と今では一年中飾ることが出来る菊ですが、「菊を生けると 良い子に育つ」「 菊を飾れば 福が到来」 と言われるほど縁起物なのです。
ものもとは漢方薬だった菊
菊はもともと 薬材で漢方薬だったといいますし、 昔から菊は「邪気を祓う」といい、 聖なるパワーもあるとされてきました。干した花びらを 枕に入れることで、良く眠れるとも 言われています。
除虫菊のように「虫除け」の効能があり、蚊取り線香の原料になった菊もあります。
体内にとりいれて浄化する
実は、菊の花はどれも食べられるとのことですが、特に味や香りのよいものが、食用菊として栽培されています。「食べられる花-エディブルフラワー(食用花)」の名前が登場するずっと以前から、菊は日本の代表的なエディブルフラワーのひとつでした。しゃきしゃきとした歯ごたえと、ほのかな香り、そして甘さとほろ苦さが、日本独特の繊細な味・伝統の味として、人々に親しまれてきました。東京都中央卸売市場で扱う5割程度を山形産が占めるられているほど、山形では生産に力を入れています。特に、独特の香りと味の良さで『食用菊の横綱』と評されるのが、淡い紫色の「もってのほか」です。正式には「延命楽」という品種なのですが、「もってのほか」の愛称で呼ばれています。この名前の由来は、「天皇家の御紋を食べるとはもってのほか」とか、「もってのほかおいしい」とかから来ているようです。
食用菊は花びら(花弁)の部分を食します。もってのほかの花びらは筒状になっているため、茹でても形が崩れず、しゃきしゃきとした歯ざわりが特徴で、サッと茹でた花びらを、和え物、おひたし、酢の物にしたり、そのまま、天ぷらや吸い物など、食べ方は様々です。
爽やかな香りの性か、「邪気が祓われた」感じがします、体内に取り入れて浄化するというのも納得です。
やはり縁起ものだった「菊」
菊は縁起が良いのに、葬儀などで使われるというのも「邪気を祓う」パワーが強いからなのかも知れません。
菊の花の、甘さの無い爽やかな香りはまさに「高貴」そのものの感じさえします。
もっと身近に飾っていただきたい花だと思います。
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