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商売繁盛の縁起物「福助」の意味とモデルになった人物を紹介します

店先などで見かける福助人形(ふくすけにんぎょう)お辞儀をして丁寧に客を迎える福助は実在の人物だったといわれています。
このページでは福を招くの縁起物である福助人形のご利益や誕生にまつわるエピソードなどを紹介します。

福助人形のご利益

福助人形は「福を招く」とされる縁起人形。その歴史は古く、江戸時代後期に流行しました。
当初は正座で正面を向いて座っている座っているタイプのものでしたが、
現在ではおじぎをしているものや、貯金箱になっているものなど、様々なバリエーションが生まれています。
ちょんまげ姿の大きな頭に福耳。裃(かみしも)を着て座る姿は、商店などの店先で客を出迎えるマスコットキャラクターのような存在だったようです。
頭と胴体がアンバランスな姿は、今でいうデフォルメされたアニメキャラクターに通じるものがあります。
われわれの感覚ではちょっと怖い感じもしますが、江戸時代の人からすれば「フィギュアっぽい置物」だったのかもしれませんね。

福助人形のモデルとなった人物

ではこの福助が縁起物としてなぜ流行したのでしょうか。
調べてみると、実在するとされる福助人形のモデルに秘密がありました。
福助のモデルとなった人物は、諸説あり代表的なものを2つ紹介します。

京都の呉服屋大文字屋の主人説

一人目の福助のモデルは、江戸時代に実在した京都の呉服屋、大文字屋の主人。
この主人は大変頭が大きく商売上手で有名で、その評判が広まり、主人を模した人形が作られたのがはじまりとする説です。
主人を模した人形のため当初は大人顔でしたが、頭と胴のバランスから子供のようにも見えたため、デフォルメされて次第に童顔の人形に変化していったという経緯があります。
また、この説では「福助」という縁起の良い名前を後からつけられたと考えられています。

摂津国西成郡安部里の佐太郎説

もう一人の福助のモデルは摂津国(現在の大阪北中部から兵庫県南東部)の佐太郎という人物。
佐太郎は身長2尺(約60センチ)足らずの大頭の人物で、江戸の見せ物小屋に出され大評判となりました。佐太郎は見世物小屋の雇い主から不具助をもじった「福助」の名前命じられた所、福々しくて縁起がよいとさらに盛況に。
ある日、見物人のなかにいた旗本に買われる事となった佐太郎。その旗本の家には幸運がつづき、寵愛され旗本の世話で女中の「りさ」と結婚。焼物を焼く商いをはじめました。その後自分の容姿に模した像つくって売り出した所、その人形が福助の死後に流行したとい逸話が残っています。
どちらが福助のモデルとなったのかという真意は不明ですが、同じ時代に同じ身体的特徴を持った2人の人物が実在していたという説は興味深いものがあります。

福助人形に隠された縁起物としての意味

福助人形が置かれているのは商店の軒先などが一般的。このことから商売繁盛、千客万来の縁起物という事がわかります。
そして福助が着ている服装にも商売人にとって重要な意味が隠されています。
福助が着ているのは羽織ではなく、裃(かみしも)です。
裃は上半身に着る袖の無い上衣と、袴を組合せたもので、室町時代に生まれて、江戸時代には武士の礼服として採用されました。そして商売人にとってこの裃は重要な意味を持ちます。
裃は文字通り「上下別け隔てなくお辞儀をする」という意味。江戸の商人たちは「どんなお客様にも平等に対応する」ということが商売をする上でとても重要な作法であると考えてきたことから、裃を着た福助人形は特別を意味を持っていたのです。
そして扇子を持っているのは、結界を作って自分が控える形を表し、控えめに商売させていただくという気持ちが込められているそう。
単なる商売繁盛の縁起物としてだけではなく、「商売人としての姿勢」を福助に投影していたのだと考えられています。
また、大きな福耳はお金持ちの象徴としてもよく知られていることから特に商人の間でもてはやされた縁起物となりました。

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