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勾玉(まがたま)に秘められたパワーとは?

「勾玉」というものをご存知でしょうか?
先史・古代の日本における装身具の一つで、多くは、Cの字形またはコの字形に湾曲した、玉から尾が出たような形をしている。丸く膨らんだ一端に穴を開けて紐を通し、首飾りとしたようです。
玉という漢字の意味を調べてみますと、
大切なものや、価値のあるものといった意味を持ちます。
玉というと丸いものだと思いがちですが、本来丸いものは「球」であり、「玉」ではありません。
匂という漢字の意味を調べてみますと、
1 よいにおいを鼻に感じる。かおりがただよう。
2 鮮やかに色づく。特に、赤く色づく。また、色が美しく輝く。照り映える。
3 内面の美しさなどがあふれ出て、生き生きと輝く。
4 おかげをこうむって、栄える。引き立てられる。
5 染め色または襲 (かさね) の色目などで、濃い色合いからしだいに薄くぼかしてある。

玉(ぎょく)
また、玉という漢字を「ぎょく」と読むと意味が少し違います。
・宝石のこと。主にヒスイを指す。玉石混淆の玉はこの意。「たま」とも。
・玉璽のこと。
・将棋の駒の1つ、玉将のこと(王将と同一、詳しくは玉将の項を参照)。
・投資用語のひとつ。玉 (投資用語)を参照。
・「美しい」を意味する接頭辞。
・天子(天皇、皇帝)を尊称するために、玉体(天皇の身体)や玉音(天皇の声、歩行)また玉顔、龍顔(天皇の顔)などと使われる。
・天皇のこと。江戸時代末、薩摩藩・長州藩藩士が隠語として用いたといわれる。

勾玉の文字からしても、なにやら有難い感じがしますが、では勾玉とはいったいどんなものなのでしょうか?

謎の多い「勾玉」

まず、形ですが、多くは、Cの字形またはコの字形に湾曲した、玉から尾が出たような形をしています。丸く膨らんだ一端に穴を開けて紐を通し、首飾りとした。孔のある一端を頭、湾曲部の内側を腹、外側を背と呼ぶ。多くは翡翠(ひすい)、瑪瑙(めのう)、水晶(すいしょう)、滑石(かっせき)、琥珀(こはく)、鼈甲(べっこう)で作られています。

 では、いったい勾玉のこの形は何を表しているのでしょう?
実は、それが未だ謎なのです。
C状にくねった不思議な形をしています。この独特な形状は、世界でも類を見ません。
日本以外では朝鮮半島南部の古代遺跡からも出土していますが、おそらくそれらは日本から輸出されたものとみて良いようです。
なぜなら、我が国では全国各地の遺跡から大量の勾玉が見つかっていますし、出雲や奈良では勾玉の工房跡も発見されているからです。

 昨年は、埼玉県東松山市の反町遺跡で、4世紀頃(古墳時代前期)と思われる勾玉の加工工房遺跡が発見されて話題になりました。
  この工房跡で見つかった石は水晶や碧玉などで、ほぼすべて勾玉として加工されていたようです。長さ数センチの作りかけの勾玉が4~50点、破片も含めて数千点。 ものすごい量ですが、それだけ需要があったのでしょう。
 我が国における勾玉の歴史は非常に古く、縄文時代の遺跡からも出土しています。
 ただし、どの遺跡からも出てくるわけではなく、特定の遺跡の中の、高貴な人間の墓所と思われる場所からしか出てきていませんので、高貴な人の持ち物であったようです。

用いられた素材は、翡翠が多く、他に碧玉、水晶、瑪瑙など、硬い石が中心で、もっと硬度の低い石はいくらでもあるのに、わざわざ硬い石を使い、独特の曲線が出るまでひたすら磨く作業は、当時の技術では並大抵の労力ではなかったと推測できます。
発掘の状態から確かなことは、勾玉は呪術に用いられたアイテムであり、高貴な人間しか持つことを許されない装飾品であったということです。
 現在唱えられている勾玉の形の起源は、
・三日月
・胎児
・獣の牙
・陰陽太極マークの片方

 などという説がありますが、 早稲田大学名誉教授で、『勾玉』(学生社)などの著書をもつ水野祐氏は、勾玉を月神のシンボルとみている説もあります。この説は、 縄文時代に日本列島に住んでいた原日本人たちは、漁撈・狩猟民であり、そのような人々にとっては、月の光や潮の満ち引きは、食糧を獲得するための重要な指標となります。また、満ちては消え、再び現れる月の姿は、生命力や蘇りのパワーをもたらす源と認識され、すなわち月神を信奉する文化が生まれたのではないでしょうか。
そうした過程で、石を打ち砕いて三日月型を作り、穴を開けて着用することで月のパワーを身にまとおうとしたでしょうし、やがてそれは月神から神権を委託された権力者としての地位を示すものになったのかも知れません。
 しかし、古代日本列島を統一したのは大和朝廷であり、彼らの信奉した神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)~すなわち太陽神です。それなのに、天皇の権威を象徴する三種の神器には、勾玉が加えられています。
それは、おそらく縄文時代に日本列島に住んでいた原日本人は、漁撈・狩猟民であり、月の満ち欠けは食糧を獲得するための重要な指標であり、そこから月神を信奉する文化が生まれたとしてもおかしくありません。
ところが、古代日本列島には、月神を信仰する部族がいる一方で、太陽神を信奉する部族もいました。特に稲作が主流を為していく弥生時代になるとその勢力を増し、大陸から伝わった最新素材である銅をもって円鏡を作り、それを太陽神のシンボルとしました。
さまざまな部族国家が林立していたであろう古代日本列島は、やがて「剣」という兵器によって統一されていきます。これが、大和朝廷の誕生となるわけです。 日本初の統一王家である大和朝廷は、皇位継承の印として三種類の神器をおきます。
 そのひとつはもちろん勾玉でした。
 いわゆる三種の神器とは
  ・八咫鏡(やたのかがみ)
  ・草薙の剣(くさなぎのつるぎ)
  ・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
林立する部族国家を征服して統一していく過程において、土着信仰を吸収・習合させていくことで民意を従えていく手法は、歴史上しばしばみられる大事な手段でありました。
 三種の神器を古代史の流れから広く捉えるとするならば、鏡を神器とする太陽神信仰民族が、月の象徴として勾玉を神器として戴く民族を、剣によって従え、傘下に加えていったと観ることもできるのではないかということです。

「古事記」に出てくる勾玉

あるとき須佐之男命(すさのおのみこと)が、天上界である高天原(たかまがはら)に昇って天照大神(あまてらすおおみかみ)に会いに行こうとしたときのこと。須佐之男命は乱暴で有名なせいか、山河国土がことごとく揺れたそうです。
 これに驚いた天照大神は、須佐之男命が攻めてきたに違いないと思い、戦闘準備に入ります。弓矢を携えることはもちろん、天照大神が男装するために勾玉で髪の毛を束ね、さらに巨大勾玉(八尺勾玉)五百個を束ねた装具を両手に持ち、地面を踏みしめ雄叫びを上げて須佐之男命を待ち構えました。その姿は、勾玉に埋もれるほどだったといいます。
結局スサノオノミコトは国を奪うつもりはないということを誓約(うけい)という占いで本心を見るというもので証明します。
こうしてスサノオノミコトが高天原で過ごするとになります。
この時の描写から八尺瓊勾玉には、守護する力が込められているという説もあります。
この逸話からも、勾玉は髪の毛を束ねたり首にかける装身具であり、また戦闘に
際しての強力な護符(お守り)だったようなのです。

表舞台から忽然と消えた勾玉

ところが、これほど重きを置かれた勾玉は、ある時期を境に忽然と日本史の表舞台から消え去ります。
 それは仏教の伝播と時期を同じくしているため、おそらく日神・月神双方からの王権授与説をとっていた大和朝廷が方向転換を計り、体制の立て直しとして仏教を国策の中心に据えたため、古い神話を象徴する神器が必要なくなったのでしょう。
 しかし勾玉は、宮中の高官や知識人のあいだでは、ひっそりと受け継がれてきたのでした。そして今また密かなブームとなっています。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の歴史
先ほどは、神話の世界の話でしたが、大和朝廷が成り立って以来の日本の長い歴史の中で、様々な困難に三種の神器は直面します。
また、実物を見ようとした人達の説話も残されていますので、それらをご紹介します。

誰も見たことが無い八尺瓊勾玉

冷泉天皇が中身を見ようとするも見れない
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を含む三種の神器は天皇陛下出さえも見てはいけないとされ、実物を見てはいけないと、はるか昔から言われています。
平安時代、冷泉天皇という奇行が多いと有名な天皇が、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の入った宝櫃を開けようとしたことがあるとされます。
その時、箱から白い煙が出てきて、驚いた天皇はすぐに閉め直したとされます。

勢力の正当性を示すためには「三種の神器」は必要不可欠なもので、手に入れたい者と、守りたい者との間を渡り歩くことになるのでした。
源平合戦で壇ノ浦の海に流されるも見つかる
平安時代の末期、趨勢を極め、天皇の后が一門から出た平家はその血のつながる天皇を安徳天皇として即位させます。
しかし、源氏が東からやってきて、京の都を追い出されてしまいます。
この時、皇居内にあった天皇の正当性を意味する三種の神器を平家は源氏が新しく天皇を即位させ、平家が逆賊・朝敵(国全体の敵)になることを防ぐために持ち出したのです。
同じように源氏も、自分たちが行うことは国、朝廷のためであるとするために、自らの行動を肯定する、新天皇を即位させる必要があるとして、三種の神器の奪取に力を注ぎます。
しかし、壇ノ浦の戦いにて、平家は三種の神器と幼い天皇と共に海に身を投げ出します。
その後、草薙剣以外は海から見つかります。草薙剣はそもそも本物でなかったということになっています。
さらに、天皇が南と北に分かれる南北朝の時代に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は宮中から奪われてしまいます。
源平合戦の時と同じく、天皇を祀り、自分たちの正当性を証明するために、三種の神器を南朝と北朝が奪い合うのです。
15年間もの間、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は宮中から奪われたままで、この時即位をした皇子たちは天皇とは考えられないのです。
しかし、最終的には、赤松氏の遺臣の奮闘により宮中に三種の神器が返ってきます。

世界で最も古い歴史を持ち、実物を誰も見たことがないゆえにたくさんの説が生まれた八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)ですが、日本という国が誇るべき大事な宝物です。
最近では「令和」に元号が変わり、次の天皇へ皇位が譲られる際の、「承継の儀」には草薙剣と八尺瓊勾玉が継承されました。テレビでご覧になった方もおおいのではないでしょうか?

勾玉の御利益は

縁起物としての勾玉は、「魔除け」「厄除け」「癒し・健康運」「金運・仕事運」「恋愛・結婚・子宝」などなどの御利益があるとか。材質の石の効能でも変わって来るようです。
翡翠ですと、心を落ち着かせ、寛大になり、徳を高める
緑瑪瑙は、ストレスを緩和し、癒しや健康運に効果があり、
青瑪瑙は、リラックス効果や安眠効果。
赤瑪瑙は、魔除け。
白瑪瑙は、心機一転、潔白や清浄。 などです。

また、勾玉は「魂を持った生き物のように扱う」と効力を発揮すると言いますから、直接肌に触れるように付けるか、もしくはキーホルダーのような場合でも、時々触ったりすることで、パワーストーンのような効果が発揮されるようです。

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