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鏡にも不思議な力が?!目よけの縁起物として知られています

身近にある鏡も縁起物としてとらえられます。

鏡の歴史ですが、最初は水面に自分の姿を映す水鏡であったと考えられるが、その後、黒曜石などの黒い石を磨いて鏡として使用していたといいます。
そして、金属を製造する技術が普及すると、金属板を磨いた金属鏡になり、多くは青銅を用いた銅鏡でありましたが、後に錫(すず)メッキを施されるようになったと言います。
中国の銅鏡が日本に渡ったのは、弥生時代の中期とされ、桃山時代までこの銅鏡が使われていたようです。
1317年にヴェネチアのガラス工が、錫をガラスの裏側に付着させる方法を発明してから、今日に至るまで、改良と進化を重ねてきました。

風水では、鏡は悪いものを遠ざける、厄除けや魔除けの役割があるとされています。
落としたり、ぶつけたりして割れたりすると、不吉な感じがしますが、
「身代わりになって悪い物から守ってくれた」とか
「危険が迫っているから注意して」とかの意味と捉えられるようです。

神社の本殿に、鏡が置かれているのをよく目にしますが、これは「神鏡」と言って神聖な鏡という意味です。
日本神話で、「八咫の鏡」(やたのかがみ)というものが出てきます。
天岩戸にお隠れになった天照大神を誘い出すのに用いられた、石凝姥神が造った鏡で、天照大神が、自分のお姿が映ったその鏡をご覧になって「尊い神がいらした」と勘違いして、岩戸から出てこられたという場面があります。
その「八咫の鏡」は三種の神器の一つとなり、天照大神を映したのですから、その分身(御魂代)として祀る霊鏡となり、それを所持する物が皇位を継ぐものとして「神宝」となりました。
ですから、鏡は太陽の光を映して、太陽を神格化した「天照大神」の神霊をお祀りするという意味があり、神社の本殿に置かれるようになりました。

また、鏡は映るものの真の姿を照らし出す能力があるとして、人に害を及ぼす魔性を暴くとされ、「照魔鏡」という鏡の話は有名です。
謡曲「殺生石」で知られる、玉藻前伝説に登場する「九尾の狐」の、姐妃の正体を見破るという不思議な力を持っていました。
「九尾の狐」は千年を生き、頭は良いが非情で理性に欠ける魔性の象徴のような妖狐で、インドから中国、そして日本に渡り「玉藻前」という名の美女となり、帝をたぶらかしてきました。
中国の殷の紂王(ちゅうおう)の皇后姐妃となり、王をそそのかし、地上を魔界化し我が物にしようとしたのですが、賢者が雲中仙人より授けられた「照魔鏡」により正体を見破られて退治されたましたが、その千年後に日本に現れたというのがこの謡曲の土台で、またもや、その妖狐は、妖艶な美女に化けて、人の心に潜む、嫉妬心や虚栄心、情欲性や残虐性を操り、世の乱れを引き起こしたのですが、陰陽師に退治され「石」にされるという話になっています。

古くから、鏡は「真実の姿を映し出す」とか「魔物を退治する」などの話が多くあり、身に付けてお守りにしたり、家に置いて魔物が入り込まないようにするために用いられてきたようです。

「かがみ」(鏡)から「が」(我)を取ると、「神」になるとか、
かがみ=神我見 で、神が我を見る。
鏡に映った自分の姿は、神の目から見た己の姿で、神と人間が見つめあっているのだ。つまり、自分の心にある悪も全て神に見透かされてしまっている。ということだ。
というように捉える話もあります。

このように、鏡はそれが持つ「ありのままを映し出す」という役割から、昔から不思議な存在とされてきましたが、現在では、生活に無くてはならないものとして身近にあります。その鏡のパワーを発揮させるには、いつも綺麗に拭いて汚れを取っておくことが大事です。
また、割れて処分する時も、自分の姿を映していた鏡で自分の「気」も入っていますので、きちんとお礼の気持ちを込めて、白い紙などに包んで処分しましょう。

こんな、不思議な力を持った「鏡」をこれからは、取り扱いにもう少しだけ気を使って、悪いものを祓い、身を守ってくれる物として大事にしてみるのも良いかと思います。

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